未来創想コラム

〇〇より大切なこと

投稿日:2013年9月30日

カテゴリ : 手元供養に関するコラム

先日、新聞に「語学力より大切なこと」というテーマで、小学校から英語を学ぶことについてのコラムがありました。
小学校から英語を学ぶと「グローバル」に育つのか?語るべき内容を持っていること、分かり合いたいという情熱、そして異なる価値観や文化を面白がるしなやかさがもっと大切ではないのか。・・・

『「グローバルの芽」を育てたいなら、学校に多様性を吹き込む方がいい。地域の外国人に学んだり、英語だけでなく多様な外国語に触れたり。知らない世界の他者と分かり合いたいと願うからこそ、私たちは外国語を学ぶのだ。』
(毎日新聞・発信箱・小国綾子氏)

と結んでいました。

このコラムを呼んで昨今の風潮を思いました。

「墓はいらないのか」

そもそもお墓はなんのためにあるのでしょう。
遺骨を収める場所であること、と同時に亡くなった方を悼み、祈るためではないでしょうか。
だとすれば、墓でも納骨堂でもあるいは散骨した海であったり山であったり、手元供養や自宅納骨であったり、場所は様々あるとしても祈る場所としての役割を果すものでなければなりません。
そういう意味から言えば、「遺骨を納める場所より祈るということが大切なこと」と思ったのでした。

「故人を悼む心」「祈るこころ」を人はどこかで学び、その気持を育てて行かなければならないと思うのです。
かつて私たちは、お墓参りや葬儀を経験することで学び、練習してきたのだと思いますが、それらの機会をほとんど奪われてしまった世代はどこでそれを学べばいいのでしょうか。

小学校では「命を大切にする」学習があるとか、では「死」についてもきちんと学ぶ機会が必要ではないでしょうか。