未来創想コラム

3.11に学ぶ「言霊」

投稿日:2014年3月11日

カテゴリ : 手元供養に関するコラム

3月11日がやって来ました。家族や親しい人を亡くした悲しみは今も癒えることなく、復興の文字がむなしく紙面に踊っています。

10数年前に2歳の子どもを亡くした私の友だちは、亡くなった後、その子の話をすると「そんな話ばかりして・・・早く忘れなさい」と言われたのだそうです。
その子の話をしないとまるでその子の存在がこの世になかったかのようになっていくのを彼女は許せなかったといいます。
その子の遺骨を家において「生きていた証」を残したかったのだといいます。
震災で2歳の息子さんを亡くしたお母さんは、その後生まれた娘さんも2歳になりました。近所の人に「二人目は?」と言われるそうです。そのたびに「お兄ちゃんがいたんだけどな」と思うのだそうです。

死んだら「終わり」ではなく、亡くなった人の「生きていた証」を生き残ったものたちがその人がかけがいのない人であったことを、その人の生きた意味を受け取るのです。「証」は遺骨ではないと思うのです。今なお、遺体が発見されない人たちがいます。しかし、彼らは人々の思い出の中に生きています。

政治学者の姜尚中さんは

『人間が行き着く終着点は「言葉」だということです。人間は、満たされないものを言葉や活字に求める生き物なのです。』

(毎日新聞3.11くらしナビ)

と語っています。

亡くなった人の思い出を語り、亡くなった人に話しかけ、語り合う。
また、同じ経験をした人の本を読んだりする。

『「この悲しみは自分だけのものだ。他人に立ち入ってほしくない」そんなふうに感じる人は、本を読むのもいいでしょう。聖書や般若心経、・・・(略)同じ喪失感を経験した人間が、今ここにいる。本を読むことが、死者と距離をおいて考えたり語ったりする、ある種のきっかけになれると思うのです。』

(同新聞)

大切な人の死と向き合う作業はとてもつらいことでしょう。
その人と語り、その人のことを語り合うことによって死者との距離感を置いて行きましょう。
私には震災で亡くなった親戚も友人もありませんが、家族や友人を亡くした方に思いを寄せる、今日一日、そんな一日にしたいと思います。